人事はヒトゴトか?

組織論、人材開発、人工知能に関するトピックについて書いていく。学術的観点と人事の実務の両方の視点を大切に。

長時間労働をどうするか?

 前回、長時間労働の背景について書いた。

 この2,3ヶ月、様々な有識者(自称含む)が長時間労働の撲滅について色々なことを言っている。的外れなものもあれば、それなりに的を射たものもある。ただ、多くの記事が間違っているのが「長時間労働=企業が悪い」という点である。これまで、自分自身が人事の仕事に携わり、また1000社以上の人事担当者と交流してきた経験から言えば、「従業員を死ぬほど働かせて儲けてやろう」と思っている企業はほとんど無い。(あえて「ほとんど」と書いたのは、「会社を継続的に運営するつもりがなく、短期的に従業員・消費者から搾取して収益を挙げよう」と考えている真の意味でのブラック企業がゼロではないためである。)どの企業の経営者・人事部も、従業員が元気で仕事をするのと、疲弊して仕事をするのと、どちらが良いかと問われれば前者を取るはずだ。しかし、なぜ現実がそうなってないかというのは、企業が現在の環境の元で存続するために、やむなく従業員の幸福度を犠牲にしているのである。もし、その犠牲を回避しようとすれば、企業そのものが倒れてしまう。極論だと思う人もいるかもしれないが、現実として少なくない企業がそれほど進退窮まった状況に置かれているのである。

 前回の記事で書いた「製造業中心の産業構造」「製品・サービスへの過度の期待」「解雇規制と労働市場」といった背景は、企業の努力だけで解決できないものである。いずれも日本社会に起因するものであり、これらの背景を変えて長時間労働を無くしていくことは痛みを伴う。産業構造で言えば、先端産業へシフトすることで付加価値と労働生産性はあがるかもしれない。しかし、サービス業や製造業といった労働集約型の産業と異なり、先端産業は知識集約型産業であるため、雇用のパイは小さくなる。また、製品・サービスの品質と価格のミスマッチを解消するには、低価格で低品質のモノが増え、高品質のモノの価格は上昇するため、日本の消費者は品質の低下か価格の上昇のいずれかを受け入れないといけない。そして、解雇規制と労働市場の変革は、労働市場の流動化につながる一方で解雇後に新たな就職口を見つけられるだけの資質と努力が労働者に求められる。

 つまり、我々は長時間労働を取るのか、現在まで享受してきた居心地のいい部分を諦めるのか、という選択を迫られているのである。長時間労働の解消によって生じる負の部分に目を向けず、企業悪者説を唱えている有識者風の人たちは、社会にとっての害悪以外の何者でもない。